NARUTO ナルト ブログ・ふりやまないあめ 2011年08月

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551話 長門を止めろ!!〔急〕火影式耳順術、廓庵禅僧……元い、イタチ、入纏垂手!!


JC最新「巻ノ五十七」 、大好評発売中 ! ! ナルトがついに戦場へ…! !

八尾、キラービー、九尾の力を会得したナルトを難なく捌く六道本来の力‥思わず圧倒されてしまう。
ペイン(遺体)を操っていた時とは次元の違う強さ、力も動きも桁違い…なるほどである。長門もやつれていないし(笑)


長門が口寄せしたカメレオン風の動物が、新たな傷の手当てを受けている
チャクラの送受信棒が幾つも撃ち込まれているという事は、カメレオン風の動物はペイン化=ご遺体のはずなのに、フカサクの仙術、舌戦斬で両断されてしまった体を、きちんと接合して包帯で巻いているんだよね

自来也との一戦で口寄せされた当初から、右眼と右側の触覚?のような部分を欠損、手当てをした状態で口寄せされている事も見逃せない。
初めてではない事がわかる(手当てがね)


手当ての包帯が妙に可笑しくもあり‥
暁のリーダーとして、憎しみ、痛みを謳い、六道ペインを率いて世界への復讐を誓っていても、命、動物に対する労り、優しさを失っていなかった事を裏付ける一面として、私に知らせる。



地獄道の再生で安易に片付けず、巻いた包帯を見せてくる所に、長門の本当の姿を読者に感じさせようとする岸本先生の思いを感じとることができる。安心して見ていられる。必ず天国にいけると思う。長門がいなければ今のナルトは居なかった。
“立ち位置の違い”だけで、正義は存在していた。
三部作は完結する。そのどれもが必要不可欠な要素を必ず秘めている。何一つ無駄はないのだ。


■序・破・急

本来は雅楽の演奏についての言葉である。雅楽の唐楽などで、曲を構成する三つの部分をいい、ほぼ西洋音楽の楽章に相当する。

「序」が無拍子かつ低速度で展開され、太鼓の拍数のみを定めて自由に奏され、「破」から拍子が加わり、「急」で加速が入り一曲三部構成を成す。



雨隠れに住む多くの人々の希望でもあったはず、彼の人生は断じて駄作ではない。
それだけに、自来也の命を躊躇もせず奪ってしまった事が残念であり、違和感を感じずにはいられない‥‥理由も解らない、かなりの時間考えてみたのだけれど何も見当たらないのだ。
どこかで生きているのかな、という思いもしつこく持ってはいたけれど、今回一蹴されてしまった。

万有の真相はただ一言にして悉す‥曰く不可解…ということなのか、いかんせん受け入れ難い。

物語の行く末を見守りたい









さて‥‥何から書こうか、
心情的には、ここからが本題なのだけれども、今まで書いてきたことなので、あまり書くことがない‥手抜きじゃないんですよ、本当に(笑)


三種の神器のひとつ、八坂ノ勾玉(八尺瓊勾玉)がここへきて初登場、拝見できるとは思わなかった~
前に書いた関連記事を二つアップしておきました。

三種の神器 [The three sacred treasures]

八尺瓊勾玉と自己犠牲と.....願いと





八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)

大きな玉で作った勾玉であり、一説に八尺の緒に繋いだ勾玉ともされる。
岩戸隠れの際に玉祖命が作り、八咫鏡とともに榊の木に掛けられました。
その存在について、日(陽)を表す八咫鏡に対して月(陰)を表しているのではないかという説があります。

ナルト世界では、うちはイタチの持つ八咫鏡は絶対防御の盾でしたが、 だとすると八坂ノ勾玉(八尺瓊勾玉)は回避不可能な一撃必殺の攻撃、若しくはどうしようもなく大きな力を封じこめる事のできる、屍鬼封尽のような封印術だと考える事もできます。

長門と六道仙人の格の違いはあれど、最終的には地爆天星でも、完全に抑え込めなかった九尾がいましたからね、

マダラや六道仙人の話に出てきた尾獣の集合体、十尾対応の際に術者に 特別な力が無くとも、超強力な封印式が展開出来るように六道仙人が後世に遺した事は十分、考えられます。


■ふりやまない雨 三種の神器 [The three sacred treasures]より一部抜粋




絶対防御の楯と一撃必殺の破壊力、伝説の封印剣を手にしたイタチは、六道の力をも凌駕してしまった。



最強の攻撃力と防御力、伝説の封印剣を手に、冷静沈着な状況判断、分析能力、行動力、悟り、教えを説き、手を差し伸べる‥‥‥イタチ入纏垂手の完結を心して目に刻むべし
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劇場版 NARUTO疾風伝 ブラッドプリズン


まだ公開中ですので、詳細はなるべく書かずに‥

ん~と、今まで見た劇場版では一番の出来でした。
無為の術「天牢」 の正体も素晴らしいものだったしねぇ‥


本編の誰かや、何かのストーリーに似たり被ったりしているわけでもなく、世界観が逸れることもなく、話がうまく纏まっていて自然に見る事ができた。

ただ、敵がどうしても化け物系っていうのは‥‥こだわりでもあるのかね(´;ω;`)
イケメンだし、見た目は無垢のままで良いのにねぇ

草隠れの上層部らしき面々の趣味の悪い被り物といい‥‥汗


ハッピーエンドではない終わり方も深みが強まって、私好みでした←ひねくれ者



ん~と、今までで見た劇場版では一番の出来でした。
無為の術「天牢」 の正体も素晴らしいものだったねぇ‥
‥‥‥という感想を、エンドロール後の綱手の胸の揺れぐあいで危うく上書きされそうになったkirin φ(..)λ≡でした☆アハッ
おとうさん達ご苦労様♪ヽ(´▽`)/


涼しい一日でしたね~気温の変化にご注意ください‥‥ではまたφ(゜゜)ノ゜




竜舌



竜舌蘭(リュウゼツラン)
11月5日の誕生花で、花言葉は繊細♪

550話 “別天神”


ナルトの体内から現れた八咫烏‥‥

うちはイタチが生前、ナルトに託した『おれの力』とは“木ノ葉を守れ”という、イタチの幻術を仕込んだシスイの(万華鏡)写輪眼





最強幻術『別天神』



別天神っていうのは、古事記や日本書記に登場する五柱の神々(正確には造化三神と呼ばれている三柱の神様と、別の二柱の神様)をさしてついた総称のようなもので、ことあまつかみ(別天神) といいます。
その存在は、若く国造りの中心的な存在であった伊邪那岐や伊邪那美、天照や須佐之男よりも遥かに高く、陰陽を超越した存在まで名を連ねる、神々の中でも別格の存在であったとされています。

※柱=人(にん)‥神様の数え方です。
例.三柱の神=三人の神


柱間って、柱(神)と人との間の存在‥なんて考えても面白いですよね



霧隠れの青やイタチのセリフにあるように、幻術にかけられた自覚、認識をもてない為、ビーのように幻術対策バッチリな相手でも、デイダラのように瞳力を鍛えようとも、サスケのようなセンスがあろうとも、シスイの写輪眼に仕込まれた幻術を免れる事はできません。


それはそれで、凄いなと思いますが、そんなことよりも実際に眼球のやり取りが存在したことにショックを受けます。
サスケに伝えた万華鏡写輪眼の開眼条件と同じで、写輪眼に囚われず“うちは”という一族の名に囚われない、縛られない強さをサスケに持ってほしくて、ついたイタチの嘘、方便であり、加えていうなら医学的な見地(血液型の整合性)も含め、人として、兄弟として、眼球のやり取りは無いと思っていました。


しかし、シスイは、眼を巡る争いが起きないように自身に偽装工作を施し死んだとも‥‥

眼球が、奪い合い、争いの対象になるなんて、うちは一族がグレたくなるのも無理はないかな‥‥なんだかね‥‥



そして、ダンゾウや木ノ葉の暗部の連中が、自己犠牲の名のもとに、卑しくも そこへ“つけこんだ”のであれば、

うちはフガクが首謀者であるとされたクーデターは、捉えよう、見方によっては、クーデターでなくなる可能性が存在します‥‥当然ですよね

事実、うちはシスイの片眼はダンゾウ
に奪われてしまう‥
最強幻術を持っていたにもかかわらず後れをとってしまう何かがあった‥ということでしょうか?
ダンゾウもダンゾウで、自己犠牲だの、表にでないだのと、黙々とかかえこんでいないで、時には語ることも必要である、と思うよ。

眼は口ほどに物を言う‥という諺は確かにあるけれど、眼だけでは伝わらないものも世の中には数多くある。

折角、木ノ葉の里や忍世界の平和に目が向いているのに、うちはシスイの眼を奪うだなんて、どう考えてもおかしい。
戦乱の最中、数多の一族を束ね、里を開いた千手柱間を見習い、忍世界を一つにする‥なんていう人間が、特定の一族だけを迫害し、生きた人の眼を“奪う”だろうか。

長門が、サスケが、闇に堕ちていく様、仕向けられたように、うちは一族と木ノ葉との間に、第三者の力が介在しているような気がしてならない。
ん~今一つ道理が飲み込めませんが、どのような理由があったとしても許される事ではありませんけれど。




ところで、イタチの回想に現れるシスイの写輪眼が別天神を発現させている事に気付きましたか?



ダンゾウとの戦いで発動したものなのか、

それとも私が万華鏡の“開眼方法”として仮定している、(イタチの)写輪眼に対する、(シスイの)万華鏡の幻術‥‥

イタチとの最後を前に、イタチの写輪眼の万華鏡開眼を促しているものなのでしょうか‥

いずれにしても、今回、発動した別天神の前に発動した、十数年前の“シスイ最後の別天神”‥‥シスイも予想だにしない未来の闇?光?何を遺していったのでしょうか








イタチはシスイを殺していなかった。
従ってイタチの呈した万華鏡写輪眼の開眼条件は無効である。






もう一度、書きますね!!!
イタチはシスイを殺していなかった。
従ってイタチの呈した万華鏡写輪眼の開眼条件は無効である。



久しぶりだなダンゾウ…うちはの事件以来だな(NARUTO 巻ノ五十一 18頁)



うちは事件にもダンゾウの奪ったシスイの万華鏡、別天神が使われた可能性も考えなくてはいけませんね。

549話 イタチの問い ! ! 〔破〕火影式耳順術、廓庵禅僧……元い、イタチ、入纏垂手!!









入纏垂手

※入てん垂手の“てん”という漢字は常用漢字の規格外の為、変換例がありません。
以降、同じ読みの纏という漢字で代用します。




胸を露にし足を跣にしてに入り来たる


土を抹し灰を塗って笑い腮(あぎと)に満つ

神仙真の秘訣を用いず

直に枯れ木をして花を放って開かしむ





■廓庵・入纏・垂手(かくあん・にってん・すいしゅ)


中国から日本に伝わったもので、禅の修行の様子、悟りに至るまでの過程、人の心を、牛を“悟り”に見立て十枚の絵で説明した十牛禅図というものがあります。
十の境地(絵)の中のひとつに“入纏垂手”が記されています。


“廓庵” はその“十牛禅図”では有名な中国宋代の禅僧 です。






この十段階に分けた悟りに至るまでの道筋こそ、まさしく、うちはイタチの生涯‥‥彼の到達した高みは、入纏垂手の極みであったように私には思えてなりません





十牛禅図を一枚、一枚、解説する文章がありますが、実はこれらは後付けで、絵画のみが記されていたり、一枚の紙に尋牛から入纏垂手までを書いてあるもの等々、形式は様々だといいます。




□尋牛(じんぎゅう)
牛を捜そうと志すこと



悟りを探すが、どこにあるかわからず途方にくれた姿を表す




□見跡(けんせき)
牛の足跡を見出すこと。





足跡とは経典や古人の公案の類を意味する。




□見牛(けんぎゅう)
牛の姿をかいまみること。



優れた師に出会い「悟り」が少しばかり見えた状態




□得牛(とくぎゅう)
力づくで牛をつかまえること。




何とか悟りの実態を得たものの、いまだ自分のものになっていない姿




□牧牛(ぼくぎゅう)
牛をてなづけること。



悟りを自分のものにするための修行を表す




□騎牛帰家(きぎゅうきか)
牛の背に乗り家へむかうこと。

悟りがようやく得られて世間に戻る姿。




□忘牛存人(ぼうぎゅうぞんにん)
家にもどり牛のことも忘れること



悟りは逃げたのではなく修行者の中にあることに気づく。




□人牛倶忘(にんぎゅうぐぼう)
すべてが忘れさられ、無に帰一すること。

悟りを得た修行者も特別な存在ではなく本来の自然な姿に気づく。




□返本還源(へんぽんげんげん)
原初の自然の美しさがあらわれてくること。

悟りとはこのような自然の中にあることを表す。




□入纏垂手(にってんすいしゅ)

悟りを得た修行者が街へ出て、別の童子と遊ぶ姿を描き、人を導くことを表す

※童子を修行者と見立てている


※修行者をカカシや、アスマ、紅、ナルトと見立ててみれば‥‥?


“纏=てん”とは市場(市、人里)のことで、そこへ垂手(手を垂れ込めて)して、気ままに入ってくる
人の思惑や体裁を考えず、自分をはだかにして、行動し、話をし、手を差し伸べる。

第一尋牛から第九返本還源までの凄惨な修行の結果、自他の対立観念の痕跡もなく、仏道だの悟だのいう観念は全く無くなる。
灰頭土面といい、人が苦しんでいれば一緒になって苦しみ救うことが、慈悲心の現れとして自然に出てくる。


この境地に達した人は、高く深く静かな境涯にあるという素振りさえも見せないといいます。



何時も心が平静で平安であるから、ごく自然に口元がほころんでくる。

こうなれば、何も神秘的な仙人の神通力などは必要としない。

古来坐禅修行を励んだ人の中には、その精神集中力錬磨の結果、いろいろな神通力を備えた方が沢山おられた。

お釈迦様も外道との法戦でこの神通力を自在にお使いになったこともあるが、これはあくまでも副産物であって、仏道修行の目的ではない。
またそれができたとしても決して珍重することはしない。
従って十牛図においても、これを珍重するどころか、必要ないことと明言しているわけである。

※神通力を写輪眼、万華鏡写輪眼におきかえて…









第十入纏垂手の境地に至った人は、枯れ木のように精神に生気が無くなった人にも、新たな生命を吹き込んで花を咲かせるような力を持つと言うのである。
まさに「衆生無辺誓願度」の行願は仏菩薩の祈りであり願いであって、仏道修行の究極はこの外には無い。
そしてその能力は万人に既に完全に与えられ備わっていることを、お釈迦様は宣言され実行され伝承されたのである。



衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんど)

(菩薩が) 地上にいるあらゆる生き物をすべて救済するという願いと誓いをたて、願いが叶うまでは自分が涅槃には赴かないとする。


イタチの願い、誓いはこの外にはない


魂となっても、見守るってことですよね


もしかしたら、現世に舞い戻る事も分かっていたんだな~なんてね

ま、それは岸本先生のしるところなのですが、
衆生無辺誓願度の誓い‥が、ナルトに託した八咫烏の正体なんじゃないかな‥と私は思います。


何も障害なく、平和な世の中が構築されるのなら、イタチが再び現世に現れることはなかったのでは?

その力…使う日が来なければいいがな(NARUTO 巻ノ四十四 14頁)という言葉がここに‥つながります。




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【最近の感想(仮題)】〔急〕火影式耳順術、廓庵禅僧……元い、イタチ、入纏垂手!!へ

548話 ナルトVSイタチ ! ! 〔序〕火影式耳順術、廓庵禅僧……元い、イタチ、入纏垂手!!


作品ではついに、うちはイタチと長門が登場‥‥戦いの予感です。


暁親分トビ(マダラ)は鬼鮫の安否どころか、行方を気にするそぶりさえも見せないのに、
ビーの背負った鮫肌を眼にしただけで、鬼鮫の死に気づいたシーンには胸をうたれました。

サスケが里へ帰ったと思っていたことも、
人は皆思い込みの中で生きている‥というセリフを残したイタチを、皮肉にも人間らしく不完全にみせる‥

なんでもイタチはわかっているんだと思っていたので、少し意外でしたが、
それが本当のイタチだと気付くのは難しくありませんでした。

死んで、背負ってるもんおろして、やっと素顔がみれるな~って思っていたら、それでも、やっぱり弟思いで、仲間を大切にする、
生前、黙って皆を守っていた、たおやかな腕で、今は自分で歩くことのできない長門を支えている。

以前と何も変わらない最高のお兄ちゃんでした。
ただ、前は遠い存在でしたが、皆と同じように、思い違いをする‥‥少しだけ身近な存在になった気がします。
前のイタチだったら、サスケの事を人に任せたりしません。

仲間や兄弟をおもいやり、愛し、信じる、、思い違いもする、
こんな人が、どんな理由があったとしても、一族や両親に手をかけるなんて
考えることはできません。



穢土転生でよみがえったイタチを見ていると、トビ(マダラ)が九尾を引き連れて木ノ葉の里を襲った夜、泣き止まないサスケを抱いて『何があってもお兄ちゃんが絶対に守ってあげるからな』の頃まで、時は一気にさかのぼります‥‥これが本当の“うちはイタチ”なんです。





うちはイタチの・イタチ入纏垂手が語られる、その前に、すこしばかりお付き合いください‥




ナルトでは、火影式耳順術 廓庵入纏垂手(ほかげしきじじゅんじゅつ かくあんにってんすいしゅ)という術が登場します。
修行中、暴走し九尾化し始めたナルトを度々制御したヤマトの術ですよね


舌を噛みそうなくらい、ずいぶんと長い術の名前ですねぇ(笑)‥‥‥これは、意味のある幾つかの言葉を組み合わせてあるからなんです‥‥


一つは火影式‥‥これは、まあなんですかね?(笑)
水影式や、雷影式なんてのもあるのかしら?‥‥まあそこはいいとして、

続くのは、耳順、廓庵、入纏垂手という別々のワード

火影式耳順術‥‥だけでも十分に意味が通じるワードなのですが、火影式耳順術、廓庵入纏垂手と、続くこの術名に、岸本先生がその当時のタイミングでは、書く事のできなかったメッセージ、事実が隠されている‥そんな気がするんです



私が、カカシの万華鏡写輪眼の開眼、うちはサスケの写輪眼の変化、はうちはイタチの月読にある‥と結論付けたのも、実はこの術名がヒントになっています。
今回、再登場、ナルトに託した八咫烏の正体(意味)にも‥






まずは、耳順ですが

こちらは孔子の『論語』為政篇に記されている言葉で、年齢を表すものとして現在も使われています。



十五(志学)にして学に志し

三十(而立/じりつ)にして立つ

四十(不惑)にして惑はず

五十(知命)にして天命を知る

六十(耳順)にして耳順ひ

七十(従心)にして心の欲する所に従ひて矩を踰えず


※七十から先がないのは、孔子が七十三歳で亡くなった為です


というように、耳順とは人間、齢六十にして初めて、人の言うことに素直に耳を傾ける境地に達する‥と孔子の『論語』では表現されています。

(んー、私の率直な感想は、まるきり正反対で‥(笑)、人の言うことに素直に耳を傾けるっていうなら、物心つく前の小さな子供なんじゃないのかなぁ‥と)

このように、九尾化しかけて暴れまわる(聞く耳をもたない)ナルトに、(強制的に)聞く耳を持たせる‥というように意味を持たせている事がわかります


ほら‥ね?
火影式耳順術だけでも十分に意味が通じるでしょう?

では、廓庵入纏垂手と続くこの術名に、岸本先生がその当時のタイミングでは、書く事のできなかったメッセージなるものを探っていきます。

葉月




綱手     8月2日
縄樹     8月9日
テウチ    8月10日
ヤマト    8月10日
西      8月11日(一楽店員)
犬塚ツメ   8月12日
角都     8月15日
桃地再不斬  8月15日
うちはフガク 8月16日
カイザ    8月21日(波の国・一般人)
テマリ    8月23日
並足ライドウ 8月23日(アスマ・角都飛段戦増援)




葉月
【意味】 葉月とは、陰暦で八月のこと。

【葉月の語源・由来】

葉月の語源は、新暦では九月上旬から十月上旬の秋にあたるため、葉の落ちる月「葉落ち月」が転じて「葉月」になったとする説。
北方から初めて雁が来る月なので、「初来月」「初月」から「葉月」になったとする説。
稲の穂が張る月「穂張り月」「張り月」から、「葉月」になったとする説がある。
「葉落ち月」の説が有力にも思えるが、必ずしも漢字がそのまま残るとは限らず、当て字の可能性もあるため、正確な語源は未詳。
ようこそ!!
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