NARUTO ナルト ブログ・ふりやまない雨 Transmigration of souls in six ways in Buddhism

Transmigration of souls in six ways in Buddhism


六道とは
仏教において迷いのあるものが輪廻するという、6種類の迷いある世界のことをいいます。

天道

人間道

修羅道

畜生道

餓鬼道

地獄道



仏教では輪廻を死後に趣く世界ではなく、心の状態として捉えます。

たとえば、天道界に趣けば、心の状態が天道のような状態にあり、地獄界に趣けば、心の状態が地獄のような状態である、と解釈されます。
作品では長門は 一人 でしたが一人操る、六道それぞれに役割が与えられていたように、それぞれに性格が付与されていたような気が私はします



なお一部の考え方に天狗など、この輪廻の道から外れたものを俗に外道とする考え方もあります
作品では、この外道に長門が宛がわれてますし、天狗についても木ノ葉にある、うちはの集会所の壁画に書き込まれていたりします。 (NARUTO 巻ノ五十 73頁)
この辺りからも外道と写輪眼(うちは一族)について密接な繋がりを感じますし、サスケを外道へと導き育てるマダラの考えが見え隠れしてますよね。要するに適格者なんだと思います。うちは一族は(笑)



□天道
天道は天人が住む世界である。天人は人間よりも優れた存在とされ、寿命は非常に長く、また苦しみも人間道に比べてほとんどないとされる。また、空を飛ぶことができ享楽のうちに生涯を過ごすといわれる。しかしながら煩悩から解き放たれていない。天人が死を迎えるときは五つの変化が現れる。これを五衰(天人五衰)と称し、体が垢に塗れて悪臭を放ち、脇から汗が出て自分の居場所を好まなくなり、頭の上の花が萎む。


作品では、弥彦の身体を天道として扱っていました。

寿命は非常に長く、また苦しみも人間道に比べてほとんどない‥‥

という説明に、長門や小南の想いが表われているようで少し切なくなります。

442話の扉絵にある弥彦の笑顔が私はとても好きなのですが、あどけない表情と無機質な死を感じさせる天道の表情の対比が悲しくて強く印象に残っています。







□人間道
人間道は人間が住む世界である。四苦八苦に悩まされる苦しみの大きい世界であるが、苦しみが続くばかりではなく楽しみもあるとされる。又、仏になりうるという救いもある。

四苦八苦に悩まされる苦しみの大きい世界‥‥成る程、と思いません? 
 

作品ではナルトが螺旋丸手裏剣を投げた際に畜生道の女の子をかばうシーン、人間味があって好きでした。(NARUTO 巻ノ四十六 177頁)
意識体は長門一人のはずなのに、もしかしてこの人間道のお兄ちゃん、生きていた時の意識が残っていて、女の子を助けたのかしら‥なんて思っちゃったり。。。
ま、戦術面での重要度を考えた長門の判断なんだろうけど、女の子を救う場面が自分的には、ちょっとイカしてました。パチパチ



□修羅道
修羅道は修羅の住む世界である。修羅は終始戦い、争うとされる。苦しみや怒りが絶えないが地獄のような場所ではなく、苦しみは自らに帰結するところが大きい世界である。

三つの面(顔)は喜怒哀楽から楽を抜いたもの…と聞いた事があります。(定かではない‥汗)
作品中でも顔の両側面に顔が現れますが、それを表しているのだと思います。
一番、好戦的で何を考えているのか分からない気味の悪いペインでしたね〜

あっ!自来也様に酷い事して!
くっ‥茶坊主、キ・サ・マぁ!!視覚的に許せんな〜、バキボキ?

自来也様の回想に、爽やかな?笑顔の体育会系筋肉ダルマのワンカット(NARUTO 巻ノ四十二 38頁)がありましたが、テレビでは無愛想な傀儡師でした。(これだからテレビは‥‥ブツブツ)





□畜生道
畜生道は牛馬など畜生の世界である。ほとんど本能ばかりで生きており、使役され、なされるがままという点からは自力で仏の教えを得ることの出来ない状態で救いの少ない世界とされる。


自来也様との再開に赴いたペイン、畜生道の無慈悲な振る舞い、耳を貸さない頑固さは最初、私にはとても不思議で疑問の一つでした。

何が疑問だったのかと言うと、命を守る術を教わり、守り育ててくれた自来也様に、感謝の気持ちや情を抱くどころか初めから殺害するつもりで向き合った事に、です。
過去に、今に、未来に、絶望し人類補完計画もどきを発動します〜というような見事な壊れっぷりでした。

侵入者を殺す為にこの体で出張ってきたんだ
(NARUTO 巻ノ四十一 37頁)
長門は侵入者を自来也様と確認する前にこの体、畜生道を選び、侵入者狩りに赴きます。

要するに畜生道に付与された性格、性質は、問答無用で情け容赦のない、
私情を一切挟む事無く、自分の(長門)持つ考えを侵入者にしらしめ、みせしめ、思い知らせ、無慈悲に殺害する、固体だったと思うんです。


私が思うのは、もしも最初から侵入者が自来也様だとわかっていた場合でも長門は畜生道で赴いたのか?という思いがある。
自来也様だとわかっていたなら本体、長門が直接にあっても良かったんじゃないかな‥と。
聞きたい事、あったんでしょって叩いてあげたいよ
(;ω;`)



□餓鬼道
餓鬼道は餓鬼の世界である。餓鬼は腹が膨れた姿の鬼で、食べ物を口に入れようとすると火となってしまい餓えと渇きに悩まされる。他人を慮らなかったために餓鬼になった例がある。旧暦7月15日の施餓鬼会はこの餓鬼を救うために行われる。

とても便利で面白い能力を持つペインでした。
チャクラを無尽蔵に吸い込む所に驚きましたがペインにしては何ともマヌケな最後でしたが、
物理攻撃に弱い訳ではなくて盤石に近い忍術に対する防御と比較して物理攻撃に対する免罪符は持ち合わせてないだけ、のはずなんですがキチッと線引きしてあって(笑)



□地獄道
地獄道は罪を償わせるための世界である。
日本仏教では、死後に人間は三途の川を渡り、閻魔大王の裁きを受け、罪のあるものは地獄に落とされる、と信じられています。
地獄にはその罪の重さによって服役すべき場所(地獄)が決まっていて(焦熱地獄、極寒地獄、賽の河原、阿鼻地獄、叫喚地獄など)
罪を償い終えたものは輪廻転生によって、再びこの世界に生まれ変わるとされています。

この二人はあまり目立って台詞もなかったし、印象薄いんだよね、ごめん。地獄道なんて大層な役回りを授かっているのに、木ノ葉丸にやられちゃって、コレ



このうち、地獄から畜生までを三悪趣(三悪道、あるいは三悪、三途)と呼称し、これに対し修羅から天上までを三善趣と呼称する場合がある。また地獄から修羅までを四悪趣と称することもある。

また六道から修羅を除いて五趣(五道)と称すこともある。
初期仏教では、地獄・餓鬼・畜生・人間・天上を五趣とし、修羅はなかった。 つまり五趣の方が六道より古い概念とされる。

これは当初、修羅(阿修羅)が、天部に含まれていたもので、大乗仏教になってから天部から修羅が派生して六道となった。したがって、これらを一括して五趣六道という。

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最後まで読んでくれて、ありがとうございます!
God bless♪|・`)ノ


【ナルト世界を探る 六道 Rewrite 2010.0511】


※本記事は過去に発信した記事ですが大部分を加筆修正した記事ですので新記事扱いで掲載いたします。
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